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親というのは生物的な遺伝の「親」に、育ての「親」、養子先の「親」と色々とありますが、どれも子供にとっては「親」は最大の環境であり、「構造」である事に変わりはありません。
ですが前回も書いた様に人間同士には「相性」という、どうしようもないものがあります。残念ながら無意識の「相性」は、生まれたときに決まってしまっている特性です。子供を持っている人なら理解していただけると思いますが、生まれたときに既に性格は決まっています。
中国の古典によると大まかに人間は6種類に分かれるそうです。
さらにそれぞれ10種類に中が分かれており、6 x 10 = 60種類に分かれます。中位の分類で 6 x 6 x 6 = 216通り、細かくは 60 x 60 x 60 = 216,000通りにも別れます。
大凡の「相性」は最初の6種類間の関係で把握できまずが、「親」とか「家族」ともなるとそうは行きません。通常の社会生活などでは、同じ大まかな種類の中では問題はありませんが、家族ともなると関係性が強すぎるのでそうも行きません。
家族間の「相性」は、その子の性格形成に大きな影響を及ぼします。
特に一定数いる傷つきやすい子供には、特にきつく当たってきます。
本人がそう感じてしまうのです。
あるいは「親」という「構造」が、徹底的に甘やかす。
そうなると自己認識に歪みが起きます。
残念ながらそういう「構造」に囚われてしまう子供が、一定の確率で発生します。それも私の前言を持って「自ら選んだ構造」だとすれば、なんと過酷なのでしょうか。
自分のせいでこうなったと思える人は、まだ救いようがあります。
認知が歪んでしまえば、それも望めません。
「産んだ親が悪い」となってしまえば、既に人間としては終わっています。
人生は刑務所だという人がいます。地球という刑務所に囚われたのだと。
私は一定の合理性を認めます。私たちは自由でいそうで自由でない。
この地球という刑務所に囚われた囚人だと。そう考えれば私の年齢に達すると、納得するしかない現実がそこにあります。
であれば、自分と天に恥じないように生きたいものです。
それがこの刑務所での刑期の唯一の理由なのかもしれません。
親という「構造」を跳ね除ける強い人もいます。
私の師匠の一人がそうです。
破天荒な父親を持ち、実母を知らず、育ての母も亡くしてしまいます。
父親の愛人の子供を援助し、挙げ句の果てには身に覚えのない借金まで被せられる。そんな「構造」を利用までして大成した方です。
この方から教えられているのが「半分の法則」と、「天に恥じない生き方」です。
結局、逃れられない「親」という「構造」でも、乗り越え方はある。
師匠はそのことを身をもって教えてくださいました。
凡人である私たちにどこまでできるかわかりませんが、「構造」は乗り越えることができる。そのことだけでも、救われた気がするのは私だけでしょうか。
自分の持ち様によっては、「親」という最大の「構造」も乗り越えられる。
それは、私には福音に聞こえるのです。