個人における「構造」 「波に乗れるとき」、「波に乗れないとき」。

個人における「構造」 「波に乗れるとき」、「波に乗れないとき」。

いわゆるバイオリズムの様なものです。

個人における「構造」 「波に乗れるとき」、「波に乗れないとき」。

いわゆるバイオリズムの様なものです。

"waves and light" by Mario A. P. is licensed under CC BY-SA 2.0

 

自分だけでなく家族を観察していて良くわかるのですが、個人個人で行動エネルギーが大きくなるときと、行動エネルギーが小さくなる時があります。

いわゆるバイオリズムの様なものです。
私が観察する範囲では10年単位の波と、1年単位の波がある様に思います。
影響はどちらも同じくらいある様に思います。

 

人は「波に乗れるとき」と、「波に乗れないとき」があるのです。

 

「波に乗れるとき」は好調で、何やってもミスは見逃され、うまく行く事はどんどん行きます。ところが「波に乗れないとき」は、小さなミスもクローズアップされ、過去の問題も穿り返されて見る影もありません。
当然新しいことなど全部障害だらけで、賛同者もありません。

 

という事は新規事業や転職などは、やっていい時といけない時があることになります。これも生まれたときに決まっている様に見えます。
という事は、これも生まれたときに決まる「構造」の一部です。

 

であれば、その「構造」がわかれば良いのです。

そうすれば「とき」と味方につけることができます。そしてその「構造」は、古代中国の春秋戦国から宋王朝に掛けてほぼ明らかにされています。
北半球の北回帰線と北緯55度くらいまでの間でしか使え無いという限界はありますが、それでも人生航路の補助線や大まかな地図としては有用です。

 

私は中国の古典を読むことが好きですが、彼らの如何にして一族から高級官僚を出すかについての余念の無い研究には脱帽するしかありません。
何しろ一族に一人高級官僚が出れば、その一族だけでなく父方。母方も含めて裕福な暮らしができたというお国柄です。
若くして科挙に通り、上司受けがよく、一族の面倒見が良い子孫「六秀の子」を作るためなら、手間隙、時間を惜しまないで研究したのでしょう。

 

「とき」の科学としての「易経」。
「個人の行動エネルギー」の科学としての「四柱推命」。
「個人の人生全体構造」の科学としての「紫微斗数」。
「戦争と環境エネルギー」の科学としての「九星遁甲」。

 

今でも通用するという事は、人間というものはこの3000年間、感情の生き物としては大きくは変化していないということなのでしょうか。
私も相談を受けたときに、その人の人生の「構造」を見るために使います。
もちろん家族にも使ってアドバイスしています。

 

一度はそういう古典も目を通す時間を持ってはいかがでしょうか。