ゼロトラスト対応が意味するもの

ゼロトラスト対応が意味するもの

私が関わっているゼロトラスト対応での違和感がわかった。

ゼロトラスト対応が意味することは、「不完全性の許容」だった!

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"Comparing leadership cultures and creating change" by opensourceway is licensed under CC BY-SA 2.0

 

この2年ほど関わっているゼロトラスト対応で、今更ながらに気が付いたことがあります。

 

それは、「ゼロトラスト対応」とは、自分たちの「無謬性」や「完全性」を認めないという事、すなわち、「間違いを犯す存在」であり、「不完全」である事を認めることだという理解に達しました。

 

大きな組織では、自分たちのサービスを完全なものにしたいと思う動機が強く働きます。
特に職人気質の日本人組織では、その傾向が強く認められることは、否定する人はいないと思います。

 

それは間違ってはいないのですが、大きな問題があります。

 

1)何も決められない。
2)決定するスピードが遅い。
3)手遅れにならないと、手を打たない。

 

これ日本人の大きな組織に顕著にみられる特性だと思われませんか?

 

ビジネス環境が安定しているか、ゆっくりとしか動かない時代ならともかく、この非常事態が当たり前となってしまった時代のスピードに対応するには、下記のような「リスクマネジメント・ファースト」の発想に転換しないと、すなわち、ボラティリティの高さを当然として受け入れる様な文化的変革を行わないと、ビジネスそのものができなくなる時代になりました。

 

1)不完全であり、他の問題を引き起こすかもしれないが許容する。
2)とにかくまず、危険やリスクへの手当てを最優先にし、不具合が起こったらその時に戻すなり、変更する。
3)試行錯誤を許容し、その問題は致命的でない限り許容する。

 

このくらい大きくビジネス文化や環境を変更しないと、そもそもビジネスができなくなるまで環境は変化しています。

 

リスクの高い(=機会と損失の掛け算が大きい)ものから対応していく。
それは、「ビジネス上の多少の不具合や波乱は許容する。」というビジネス文化的な変革を行わないと、
今後ビジネスそのものが成り立たない状況に至っていることを意味します。
そして、そのリスク許容の基準は、「お客様に暗黙的、あるいは、明示的に何をお約束しているか」ということに依拠します。

 

それは、最終的な消費者における「意識変革」をも要求する。

 

そんな時代に私たちは突入してしまったのです。