22年も前ですよ?
日本セキュリティ・マネジメント学会機関誌 12(4), 1, 1998-01-01
http://www2.gol.com/users/uchidak/intrnet/intnet02.htm
に載っています。
ですが、まだまだ日本ではこの先生ご指摘の課題は、ほとんど手付かずのままです。
昔から人間の性質を、「性善説」「性悪説」として二分法で書かれてきたことは皆様もご承知のとおりです。中国の古典も同じ様に、孟子の「性善説」、荀子の「性悪説」と、この二分法で記載されることが多いです。
尤も荀子は、「人間は弱い存在だから、教育が重要である」と言っている様ですが。
人間の実態として、マズローの欲求五段階説(晩年には六段階になった)の、下から一番目と二番目の生存欲求(生理的欲求)と安全欲求を最低限のラインとするのは、管仲が「倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱」(倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る)と言ったとされるのと同じです。
その上での「性善説」「性悪説」なわけです。
戦後すぐの日本において、闇市での食料調達(違法行為)を最後まで拒否し続けた裁判官が餓死した例もありますが、そんな例は極めて稀なわけです。
で本題なのですが、万引きやセキュリティ絡みの犯罪、情報漏洩などを見ていると、どうも「性善説」「性悪説」では対処できませんし、そもそも分析すらできません。
「性弱説」でないと、万引きなどの日常的な犯罪や、うっかりチェックしなかった、「まぁ、大丈夫だろう」などの思い込みやミスによる犯罪、情報漏洩などは、分析すらできないのです。
一般的に「機会」を減らす、無くすことを中心に対策が打たれることが多い様に思いますが、「動機」と「正当化」のタネを減らすことも重要です。
日頃から従業員を大事にしない、収益の分配が極端に偏っているなど、「正当化」のタネはあちこちに落ちています。
「正当化」のタネは、「動機」にもなり得ます。
「機会」ができてしまえば、「性弱」な私たちは容易に犯罪に走るのです。
「誰もみていない」、「このくらいなら」と「機会」が目の前に来たときに「大丈夫だよね」思ってしまう。
礼節を知っていようがいまいが、関係ありません。
私の専門領域であるリスクマネジメントでも、この「性弱説」に立たないと組織の人間系のリスクマネジメントの計画も実施も不可能です。
ミスを防ぐ観点からも、重要操作は必ず二人一組で確認しながら操作させるのはもちろんのこと、前提条件レビューや、「書かれていないことは何か」と言うレビューも欠かせません。
もし前提条件や「書かれていないこと」に「性善説」が入っていれば、まず間違いなく計画は破綻しています。犯罪の「機会」を提供しているからです。
とは言え「性悪説」では、そもそもことが進まないか、とてつもなくコストがかかります。
全ての人間系の作業においては、「性弱説」に前提を置いて計画、レビュー、実行、チェック、実行のサイクルを回すべきです。