"fact or fiction?" by db Photography | Demi-Brooke is licensed under CC BY 2.0
仕事で部下を持つとよくわかります。
仕事できない奴ほど、「事実」と「自分の推測」と、「他人から聞いた話」をごちゃ混ぜにして話をします。
そう言う時、私は多少イラつきながらあえてゆっくりと冷静な声で、こう言うのです。
今言ったことの中で、
「事実」はどれ?
「人から聞いた話」はどれで、誰が言ったの?
「それに対するあなたの考えは何?」
上記の質問をしてすぐに整理して話せる部下なら、何回か訓練は必要ですが、見込みがあります。次からメモにして先に見せてくれる様にいいます。
しかし混乱するか、怒り出す奴なら私は要らないので外します。
仕事の見通しやお客様の意図を見誤り、お客様に迷惑をかけかねないからです。
「事実」と「人の言っていること」と、「自分の考え」の区別がつかない人は、まず自分が悪くない様に話を作っていると疑って間違いありません
そう言う部下の口車に乗ったら、とんでもない事故になります。
何せ相手は、「その場限りで怒られなければ良い」と思っている奴らです。
とにかくなんとかやり過ごしたい。
部下だけでなく、取引先からも似た様な報告/連絡はほぼ毎日きます。
まずは割り引いて聞かなければなりません。
そして同じ問いを毎回します。
「事実」はどれ?
「人から聞いた話」はどれで、誰が言ったの?
「それに対するあなたの考えは何?」
目の前にいれば態度や声色、顔色で真偽を見分けるのは簡単ですが、メモ書きや文書からそれを割り出すのは、ちょっと手間がかかります。
前の報告書やメモを取り出す必要があるからです。
私は自分を信用していません。
私が考え出すことなど、高が知れているといつも思っています。
私のチンケな考えよりも古典の中で表明されている考えや、その方面を毎日見ている専門家の方を信用します。
そうしてみると、自分の考えなんて大したことありません。
世の中には「自分だけが信用できる」、「自分は常に正しい」、「常に自分は正しい選択をしてきた」と言う人が稀にいます。
全て、後付けでみた「たまたま」です。
気がついていないだけで他人が合わせてくれていたとか、たまたまタイミングが良かったとか、本人が知らないところで大きなミスをやっているとか。
師匠の一人の市川先生は「自分を信用できて初めて運は開ける」と言われますが、自分に全くの自信がない人に対するお言葉と捉えています。
私の「自分を信用していない」と言うのは、自分に下記の質問をしていると言うことと同じです。
「事実」はどれ?
「人から聞いた話」はどれで、誰が言ったの?
「それに対するあなたの考えは何?」
それは生まれてきたからには、すごい確率を乗り越えてきてますから「特別」なのは「事実」です。しかしその「特別」なのは、他人に対してではありません。自分が何かやり残した宿題があると言う「特別」なのです。
それを理解した時、「自分を信用しない」と言う態度が当然の帰結として導かれます。宿題を放置し続けてきた奴など、信用するに足りません。
「事実」はどれ?
「人から聞いた話」はどれで、誰が言ったの?
「それに対するあなたの考えは何?」
常に自問自答する課題なのです。
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