孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。

仏教の「法句経」にある言葉

"Elephant" by Jonathan Michael Peel is licensed under CC BY-SA 2.0

 

押井守監督ファンの方ならば、「イノセンス」で繰り返し出てくる言葉だとご存知かもしれません。もともとは、仏教の「法句経」にある言葉です。

 

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独(ヒトリ)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。──林の中にいる象のように。
この様に日本では小乗仏教の経典と捉えられる様な趣があり、明治期にヨーロッパから思想研究として再流入するまで、省みられなかった経緯がある様です。小乗仏教も、大乗仏教も仏教そのものを宗教ではなく学問として捉える私のような人間には対して変わりがないのですが、立場への固着というのはお釈迦様が嫌ったものの一つではなかったでしたっけとも思うのです。

 

私たちはここまでストイックになり切る事ができません。
ここまでストイックになるには、出家しなければならないと思います。
もちろん在家あるいは、浄土真宗の創始者の様に「思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができ」たのであれば、極めて希少な例外としか思えません。

 

孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。

 

私たち一人一人は弱い存在です。
一人では生きられないのが、人間です。
それでも一人でなければ到達できない世界がある。

 

「イノセンス」を見ていて、そう思うのです。

 

それでも最後で「Follow me」と呼びかけているのは、「法句経」の一節を引用しながら、「忘れないで。貴方がネットにアクセスする時、私は必ず貴方の傍に居る。」という「草薙素子」の思いなのかもしれません。

 

映画一つ見るのも教養というものが必要で、製作者とのキャッチボールなのだなと。

 

そういえば、私淑するあうんの岡本先生がいうダイナミクスというのは、こういう事もあるのかもしれません。