個人における「家族」という「構造」

個人における最大の「構造」は、「家族」です。同時に最大のリスクでもあります。

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個人における最大の「構造」は、「家族」です。
同時に最大のリスクでもあります。

 

「構造」は環境だと前にお話ししました。
「家族」は個人にとって最大の環境です。
「構造」であるから、生まれたときに決まってしまう環境です。

 

「家族」というものはいろいろな考え方があります。
自分自身で選んでそこに生まれたという考え方があり、私は一定の合理性があると考えています。
子供は親を選べないという考え方もありますが、正直に言えば私には違和感があります。
生まれてくるというのは、確率的にものすごく稀な現象です。
いわゆる妊娠可能期間でも、確率的には低いとされます。

 

それでもそこに生まれてくる。

 

そこに何らかの「意図」や「投企」を感じるのです。
人生は修行だと考える人がいます。
私もその一人です。

 

徳川家康も下記の様に言ったと伝えられています。

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
 不自由を常と思えば不足なし。
 こころに望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
 おのれを責めて人をせむるな。
 及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

 

家族という「構造」も、自分で選んだ修行なのかもしれません。

 

家族という「構造」については、個別に次回以降3回にわたってトピックを続けます。